「太陽よりも明るい輝き」

Topic:救い(証、パウロ)   Scripture(聖書) その途中、正午ごろ、王よ、私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と同行者たちとの回りを照らしたのです。  (使徒26:13 新改訳)     Observation(観察) アグリッパ王の前に呼び出され、弁明の機会が与えられたパウロ。 そこで、パウロは自らの救いの証を語り出した。   クリスチャン迫害の第一人者であったパウロがなぜ180度心変わりしたのか? それはクリスチャンを迫害するために追いかけていた時のことだった。 あまりにも鮮やか衝撃的な出来事だったので、その時間も克明にパウロの記憶に刻まれていた。   ①正午ごろ ②太陽よりも明るい輝き ③パウロたちのまわりを照らした   →天からの光   この天からの光とその中からの語りかけがパウロを変えたのだ。     Application(適用) その光がパウロの人生のすべてを変えた。 パウロと同様ではなくても、すべてのキリストを信じる人が何らかの主との出会い、語りかけを経験しているはずである。   僕は14歳、中学2年生の夏であった。 ヨハネ1章12節。 「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」   この聖書の言葉が僕の心をとらえたのだ。 一瞬にして人生の根本的な問題が解決したのだ。   今日は70歳の母が胃ガンの手術を受ける。 70年生きてきて初めて大きな手術である。   非常に信仰熱心な父と母の家に、つまりクリスチャンホームに生まれた。 6人兄妹の末っ子として生まれ、愛子と命名された。 「名は体を表す」とよく言われるが、本当に愛に溢れている母である。 常に自らを犠牲にして家族に仕える母である。 働き者で常に明るく笑っている。   小学生の頃に転校生特有のイジメを経験したことがあったが、全力で母は守ってくれた。 母の献身的な愛がなかったら、今日の僕はない。   しかし、母は個人的な主との関係を持たず、今日まで生きてきた。  ...

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「どこへ行っても」

Topic:御言葉(迫害)   Scripture(聖書) 1パウロは、ステパノを殺すことに大賛成でした。その日から、激しい迫害の嵐がエルサレムの教会を襲い、使徒たち以外の者はみな、ユダヤやサマリヤへ散らされました。   4しかし、エルサレムから逃げ出したクリスチャンたちは、どこへ行っても、神のことばを伝えて歩きました。 (使徒8:1〜4 リビングバイブル)     Observation(観察) ついにステパノが殺害された。 迫害の嵐がますます強く吹き荒れる中で初代教会は翻弄されていくこととなる。 しかし、「ピンチはチャンス」。 家を追われ、地道に積み上げてきた全てを奪われる状況。 命からがら逃げ延びる困難の中でもクリスチャン達はめげなかった。決して折れない。 なんと、逃亡中にも御言葉を伝えていったのだ。     Application(適用) 激しい迫害の手から命からがら逃れ、散り散りなっていった初代教会のクリスチャン達。   「なぜ、こんな目に遭わなければならないんだ?」   思わず、そのような言葉が口をついて出てくるような状況である。 しかし、彼らの口から出てきたのは嘆きでもなく、恨みでもなく、後悔でもない。   驚くべきことに口から出てきたのは御言葉だったのだ。 順風満帆の時より逆境の中でこそ、信仰の真価が問われる。 彼らの信仰はまさに「ホンモノ」であった。   予定していたものではなかったが、まるでMission Tripとなり、各地で御言葉が伝えられ、結果的には宣教拡大に繋がっていったのだ。   ①喜び 主に愛されている喜びと感動がどんな困難の中でも彼らの心を守った。 その喜びは困難の中でも溢れ出して、自然と御言葉を宣べ伝える行動へと駆り立てたのだ。   ②御言葉 口を開くと御言葉がついて出たということは、御言葉が心と体に染み込んでいた証拠だ。 牧師・伝道者として理想的な姿である。 そのためには日々、御言葉を味わい、覚え、心に蓄えていくことが肝要である。 ナチュラルに口から御言葉が出てきて、生き様で主を証していきたいのである。 それは講壇から説教を通して御言葉を語る以上のことであると思っている。   ③語る 不平、不満、言い訳、悪口、陰口、怒り、嘆き・・・。 ネガティブな言葉ではなく、ポジティブな言葉を語っていきたい。 その基本はやはり御言葉である。  ...

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「神のタイミング」

Topic:時(祈り)   Scripture(聖書) 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。」 (使徒1:4 新改訳)     Observation(観察) 十字架の死から復活されたイエスは40日の間、弟子達に現れた。 その時に語られた言葉の1つ。   イエスは弟子達に2つのことを命じられた。   ①エルサレムを離れないでいなさい。   ②イエスから聞いた父の約束を待ちなさい。 この後の5節では「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」と続く。つまり聖霊が与えられるという約束である。     Application(適用) 復活の主イエスにお会いした弟子たちは、その信じられない再会に感動し、興奮したことだろう。人は感動すると、興奮すると、その喜びをすぐに伝えたい、分かち合いたいものである。   しかし、主の命令は「行きなさい」ではなく、まずは「待ちなさい」であった。   「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。」(箴言19:21)とあるが、神の計画、神の時、神のタイミングがあるのである。   では、この後弟子たちはどのようにして神のタイミングを見分けたのか?   ①主の言葉に従う ガリラヤに本拠地を持つ弟子達にとってエルサレムに留まり続けることは簡単ではなかったのではないか。またエルサレムはイエスを十字架につけた宗教指導者たちの拠点でもある。しかし、彼らは待った。   ②共に祈る 「みな心を合わせ、祈りに専念していた。」(14節)   祈ることである。心を一つにして祈ることである。   神は私たちの心に夢を与え、ビジョンを与えられる。 そして、そこに向かって努力することは大切なことである。 しかし、事を成すのは神である。   私たちは神の「時」を間違えてはならない。 神の「タイミング」を見逃してはならない。   やがて時満ちて、満を持して、弟子たちは世界宣教へと遣わされていくこととなる。     Prayer(祈り) 主よ。 御言葉を感謝します。...

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「痛みと暗闇の中で」

Topic:賛美   Scripture(聖書) 22たちまち広場は、二人に反感をいだく人たちでいっぱいになりました。そこで長官たちは、二人を裸にし、むちで打つように命じました。 23ビュッビュッと何度もむちが振り下ろされ、二人の背中から血がしたたり落ちました。そして二人は、牢に放り込まれました。・・・   25真夜中ごろ、パウロとシラスは、主に祈ったり、賛美歌をうたったりしていました。ほかの囚人たちもじっと聞き入っています。その時です。 (使徒16:22-23,25 リビングバイブル)     Observation(観察) パウロの第二回伝道旅行中の出来事。   当初のパウロの計画とは異なっていたが、聖霊の導きと示された幻によって、パウロは伝道旅行の進路変更をした。 神の導きに従ったのだから、それはそれは素晴らしい御業がなされ、伝道旅行は大成功!万々歳!・・・かと言うと、そうではなかった。   結果的には公衆の面前で裸にされ、むち打たれ、挙句、牢屋に放り込まれた。   「聖霊の導きに従ったはずなのに、なぜ?・・・」   嘆いてもおかしくない状況。 不平不満を口にしてもおかしくない状況。   しかし、パウロの口から出てきたのは嘆きでも不平不満でもなく、驚くべきことに「賛美」だったのだ。     Application(適用) 使徒16章。大好きな聖書箇所である。 読む度に、心が震え、熱くされるのである。   むち打たれた背中の痛みがズキズキと残っていたはずである。 もしかしたら、痛みで背中をつけて眠れなかったのかもしれない。 真っ暗の牢屋の中で、痛みの中で、パウロとシラスが選択したことは「賛美」だった。 一体、どんな賛美を歌ったのだろう?とても気になる。 パウロの歌声を生で聞いてみたいものだ。 しかも、他の囚人たちが聞き入っていた、というのだから決して音痴ではなかったはずである。   ①聖霊の導きに従っていても、試練は起こる 試練の原因は必ずしも不信仰だからなのではない。 パウロのように聖霊の導きに従っていても試練は起こるのだ。   ②試練の中でも「賛美」を選ぶことができる 順調な時に「ハレルヤ」と賛美することは容易いこと。 試練の中でこそ、信仰が練られ、磨かれていくのだ。   ③試練の中で賛美をする時にこそ、奇跡が起きる この牢屋の賛美が大地震、囚人の解放、看守とその家族の救い、という奇跡の引き金となる。    ...

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「ペテロの訪問」

Topic:牧会   Scripture(聖書) 32さて、ペテロは、各地にいる信者を訪問する旅の途中、ルダの町にもやって来ました。 (使徒9:32 リビングバイブル)     Observation(観察) 使徒9章はパウロの回心劇が有名である。 しかし、後半にはこれまた神の選びの器であるペテロについての記事も記されている。   初代教会、最初の牧師でもあったペテロは各地にいる信者を訪問(巡回)するために旅をしていたのだ。   その際に訪れたルダ、ヨッパ、各地で奇跡が起こった。     Application(適用) 牧師の務めは使徒6章にある通り、まずは祈りとみことばに専念することである。 そして、牧師という名の通り、羊の群れを牧することである。   献身を志し、牧師となるべく神学校に入学したころ、母教会は無牧であった。 身近にモデルとすべき牧師がいなかったことを寂しくも感じたが、そのことのゆえに自分のモデルとなるような牧師やリーダーに飢えていたようなところもあり、貪欲に様々なタイプの牧師から学ぼうと思えたことは幸いかもしれない。   そして、これまでの20年の牧師人生の中で多くの素晴らしい器との出会い、交わりが与えられ、良い学びを得てきた。 一応、20年も牧師という肩書きをもっているが、未だに初心者マークをつけているような感覚さえある。 一生学び、一生訓練なのである。   今日はペテロという2000年前の牧師から牧師の心、牧会の心得をまた一つ教えられた。   それは「信者を訪問する」ということである。 牧師はとかく教会堂や教会オフィスや牧師室で「待ち」の姿勢でいることが多い。 しかし、時にはペテロのように自らの足で、自ら出向くことも大事なのである。   相手にもスケジュールがあるだろうから、実際に訪問がかなわなくても、自ら積極的に電話やメールをすることである。 中野雄一郎師はその意味でスペシャリストである。   忙しい巡回スケジュールの合間をぬって、電話やメールをくださる。 「中野です!今ハワイから日本に到着したところです。どう?タンタン、元気〜?」といった具合だ。   中野先生がハワイのホノルル教会で牧師をしていた頃は1日に4組は訪問するように心がけていた、ということを以前伺ったことを思い出す。   そのような細やかな愛の牧会の先に、あのルダやヨッパで起きたような奇跡が待っているのだと思う。     Prayer(祈り) 主よ。   雪の降る寒い朝を迎えています。 通勤通学をしておられる一人一人の足をお守りください。...

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