「どこへ行っても」
Topic:御言葉(迫害) Scripture(聖書) 1パウロは、ステパノを殺すことに大賛成でした。その日から、激しい迫害の嵐がエルサレムの教会を襲い、使徒たち以外の者はみな、ユダヤやサマリヤへ散らされました。 4しかし、エルサレムから逃げ出したクリスチャンたちは、どこへ行っても、神のことばを伝えて歩きました。 (使徒8:1〜4 リビングバイブル) Observation(観察) ついにステパノが殺害された。 迫害の嵐がますます強く吹き荒れる中で初代教会は翻弄されていくこととなる。 しかし、「ピンチはチャンス」。 家を追われ、地道に積み上げてきた全てを奪われる状況。 命からがら逃げ延びる困難の中でもクリスチャン達はめげなかった。決して折れない。 なんと、逃亡中にも御言葉を伝えていったのだ。 Application(適用) 激しい迫害の手から命からがら逃れ、散り散りなっていった初代教会のクリスチャン達。 「なぜ、こんな目に遭わなければならないんだ?」 思わず、そのような言葉が口をついて出てくるような状況である。 しかし、彼らの口から出てきたのは嘆きでもなく、恨みでもなく、後悔でもない。 驚くべきことに口から出てきたのは御言葉だったのだ。 順風満帆の時より逆境の中でこそ、信仰の真価が問われる。 彼らの信仰はまさに「ホンモノ」であった。 予定していたものではなかったが、まるでMission Tripとなり、各地で御言葉が伝えられ、結果的には宣教拡大に繋がっていったのだ。 ①喜び 主に愛されている喜びと感動がどんな困難の中でも彼らの心を守った。 その喜びは困難の中でも溢れ出して、自然と御言葉を宣べ伝える行動へと駆り立てたのだ。 ②御言葉 口を開くと御言葉がついて出たということは、御言葉が心と体に染み込んでいた証拠だ。 牧師・伝道者として理想的な姿である。 そのためには日々、御言葉を味わい、覚え、心に蓄えていくことが肝要である。 ナチュラルに口から御言葉が出てきて、生き様で主を証していきたいのである。 それは講壇から説教を通して御言葉を語る以上のことであると思っている。 ③語る 不平、不満、言い訳、悪口、陰口、怒り、嘆き・・・。 ネガティブな言葉ではなく、ポジティブな言葉を語っていきたい。 その基本はやはり御言葉である。 ...