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イエス様の御足の跡を踏み従う

Topic: 指針

 

御言葉:

あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。 キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。 ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。 さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。

ペテロの第一の手紙 2:21-24

 

観察:

ペテロの手紙は現在のトルコに点在していた教会にペテロが書き送った手紙。この当時、迫害の勢いは増していき、多くのクリスチャンたちの信仰は試練の中にあった。2章を読むと、きっと人々の中に、この地上で起こる困難や艱難の中、不条理を感じていた人たちがいたのだろう。「やられたらやり返す、いやむしろ倍返しだ!」そんな風に考えてしまうのがこの世の中である。けれどペテロはそうではなくて、イエス様の御足の跡を踏み従うように、と手紙に書き送っている。イエス様は罪を犯さず、ののしり返さず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをされる父なる神様にいっさいを委ねられた。十字架にかかり、血を流された。それはその傷によって、僕たちを癒すため。罪の赦しを与え、神様がいる天の扉を開くため。

 

適用
この地上では、人の行動の一つの指針は、「公平さ」のうちに見られるだろう。だからやられたらやり返す、という生き方を僕らはしてしまうものだ。それは悪いことだけではない。良いことさえも、してもたらったら、相手に返すべき、そんな考えになる傾向がある。でもイエス様の生き方は、そうではなかった。その愛は無条件に注がれている。イエス様は与えるために、癒すために、愛を届けるために、許しを届けるために、命をかけて、その御足を進められた。僕はその御足の跡をふみ従うようにと召されている。小さなことであっても、この世の中の公平さが自分の足を進める指針となっていることがある。でもイエス様の御足が踏まれたその跡を見る者、そしてそれに習う者でありたい。イエス様が僕自身を癒し、命を救うために十字架を選んでくださったことを感謝しよう。僕もこの地上で生かされている中、自分の歩む道の中で不条理を感じることがあるけれど、自分で公平さを勝ち取る歩みをするのではなく、正しく裁きをすることができる、父なる神様にいっさいをゆだねるていきたい。僕の人生が神様に用いられて、誰かの癒しとなり、誰かの永遠へとつながるものであってほしい。

 

祈り:

天のお父さん、あなたの御名を賛美します!今日もこうしてオンラインライフグループでみんなと一緒にあなたの御言葉を味わい、互いに励まし、祈りあえる時間を感謝します。この世の中では公平さが行動の指針となることが多いです。けれども無条件で愛することを選ばれた、あなたの御足の跡にならうものとしてください。あなたの歩みを思い巡らし、その恵みを忘れることがないようにしてください。僕の人生をあなたの癒しをとどけるために、愛と赦しを伝えるためにどうぞ用いてください。また、今なお迫害の中にいるクリスチャンたちを覚えて祈ります。家庭、学校、社会の中で信仰の戦いに置かれている人がいるでしょう。また、国の中で、文字通り命がけで信仰の戦いに身をおかれている方がいるでしょう。不条理、不公平、不自由と思えるその中で、与えられた自由を、あなたと共に命の日の限り生きることを選んでいる彼らに、あなたの支えと守り、導きがありますように。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン

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