No comments yet

今にあなたにわかる

御言葉:

それで主はモーセに仰せられた。「わたしがパロにしようとしていることは、今にあなたにわかる。すなわち強い手で、彼は彼らを出て行かせる。強い手で、彼はその国から彼らを追い出してしまう。」

出エジプト記6:1

それで私たちは荒野に三日の道のりの旅をして、私たちの神、主にいけにえをささげなければなりません。これは、主が私たちにお命じになることです。」パロは言った。「私は、おまえたちを行かせよう。おまえたちは荒野でおまえたちの神、主にいけにえをささげるがよい。ただ、決して遠くへ行ってはならない。私のために祈ってくれ。」

出エジプト記8:27-28

しかし、パロはこのときも強情になり、民を行かせなかった。

出エジプト記8:32

観察:

昨日読んだ出エジプト記5章の最後にはモーセの神様に対する疑問や不安が書かれていた。イスラエルの人々を救うために導かれたと思っていたが、状況はよくならない。それどころか悪化しているように見える。パロの力は強大で、その心は頑なで強情。でもそんな疑問や不安を抱えるモーセに神様はこう言った。「わたしがパロにしようとしていることは、今にあなたにわかる。」「今モーセやイスラエルの民を苦しめているパロの強さや強情さは、むしろイスラエルの人々をエジプトから追い出すために用いられる。」と言うのだ。彼らを苦しめるものが彼らを解放するために用いられる?本当だろうか?モーセはそう思ったかもしれない。パロがもっと柔軟であることを願っていたかもしれない。でももしパロの力が中途半端な者であったら、きっとイスラエルの人々に「行ってくればいい」と言って、三日の道のりを行かせたことだろう。でも三日の距離は、戦車の馬や、多くの軍勢などを持っているパロには遠い距離ではなかった。もしそうなっていたら、イスラエルの人々は、その後再びエジプトの地に連れて行かれるか、殺されだってしたことだろう。主は完全な救いをイスラエルの人々にもたらすために、パロの強さ、強情さをあえてゆるされ、そしてむしろそれをご自分の愛する民のために用いようと決めておられたのだ。

適用:

僕の人生には決して願っていないような出来事があり、状況がある。僕の心はあきらめそうになるかもしれない。希望を感じないことがあるかもしれない。でも、神様のなさることは、僕の理解をはるかに超えるもの。僕をあきらめさせようとするその状況に、僕に希望を失わせようとするその出来事に、神様の御手が働かれるなら、それはむしろ僕に力と希望を与える。主の完全なものは、僕の目に不完全なもののうちに現れるのだ。だから状況や結果によって左右されるのではなく、一時一時、神様に聞くものになっていきたい。毎日聖書の御言葉に耳を傾けること、また、生活の中で神様のささやきに耳をすませていこう。その時に言われることは、すぐに全てが解決するように思えないかもしれない。でもその導きにYesと言い続けていくなら、困難はあるかもしれないが、いつか必ず言うことができるだろう。神様は忠実な方、昨日も今日もこれからもと。つづけて神様に自分の素直な心を注ぎ出しつつ、でも神様に信頼することを選んでいこう。

祈り:

神様、あなたの偉大な御名を賛美します!あなたは昨日も今日もそしてこれからも良い方です。僕があきらめそうになる時、希望を失いそうになる時、その時こそ、全てを遥かに超える、あなたの大きな御手にこそ信頼することができますように。僕があなたの声を求める時、「僕の状況を解決してください」ではなくて、「あなたのプランの上を歩み続けたいから、今日すべきことを教えてください」という心でいることができますように。そのような心、そして信仰を与えていてください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン

Post a comment

%d bloggers like this: