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自分は子犬なんかじゃない!と思ってしまう時ってない?

御言葉: “27するとイエスは言われた。「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」28しかし、女は答えて言った。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます。”
マルコの福音書 7:27-28

観察: ある日イエス様はガリラヤから離れ、ツロという地方に行かれた。ある家に入れられたが、一人で静かな祈りの時を持とうとしていたのだろうか、誰にも知られないようにと思っていたが、イエス様のことを聞いたあるギリシャ人の女性によってイエス様は見つけられた。この女性には娘がいて、この娘は悪霊に取り憑かれていた。娘を癒してくださるようにイエス様にお願いをすると、イエス様は、「まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです。」異邦人へ神様の救いが広がっていくのは、後にパウロが召命を受け広がっていく。イエス様はまずはユダヤ人たちの中で、、、という意味合いでこのことを言っているのだが、そのことを子どもと小犬という言葉を用いて話している。自分がこの女性の立場であったらどうだろうか?「祈りに応えてくださらないのはわかりました、でもそんな言い方はしなくてもいいじゃないですか!」と言うかもしれない。でもそれはそんなつもりがなくても、どこかで自分のことを神様の恵を受けるにふさわしい存在と考え、神様の計り知れない素晴らしさに盲目になってしまっているからかもしれない。けれどこの女性は違った。「主よ。そのとおりです。」と言った。「自分はふさわしくなんてない、小犬なのです。」と。でもそれでいて、「主である方からのものならどんなものも自分への恵みです!」という心を感じる。この女性がイエス様を心から良い方、素晴らしい方、自分の主としていることを感じる。

適用: 僕はこの女性のように正しく自分がどのようなものなのか、そして神である主がどのような方なのかを見ているだろうか?そう言葉にしていなくても、「自分は小犬なんかではない」と思いうような心の態度があるのではなないだろうか。実は神様の恵みを当たり前のようにする心のあり方でいることがないだろうか。それは神様の恵みが上から落ちて来ているのを見逃してしまう。神様からの恵みを自分から拒否するような生き方になってしまう。そしてそれは自分の人生だけでなく、他の人の人生にも大きく影響するのだ。自分の心を見つめ、そして悔い改めよう。自分を高くするなら、神様の恵みを見落としてしまう。イエス様は恵みを届けるために、天からもっとも低いところまで降って来てくださったのだから。

祈り: 神様、あなたの御名を賛美します!今日このギリシャ人の女性の信仰、その心に、自分の心に傲慢さがあることを感じました。赦してください。僕はあなたの恵みを受けるにふさわしくないけれど、あなたが僕のいるところまで降ってきてくださったことをありがとう!僕があなたがきてくれるところを出るような心でいることがないように助けてください。そして僕をあなたの恵みを届ける器として、あなた愛する人たちのために自由に用いてください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン

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