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自分はどちらの罪人か?

御言葉: 39十字架にかけられていた犯罪人のひとりはイエスに悪口を言い、「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。40ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。41われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。42そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。
ルカの福音書 23:39-42

観察: ルカの福音書の23章には、多くの異なる人たちがイエス様の内に罪がなく、正しい方であったことを口にしていることがルカによって記されている。ローマからの総督であるピラト、ガリラヤ地方を治めていたヘロデ、100人隊長、そしてイエス様と共に十字架にかけられた一人の罪人。イエス様が十字架にかかられた時、隣には二人の罪人がいた。そのうちの一人はイエス様に悪口を言い「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。「なんてひどい態度!」僕は自分に罪があっても、こんなひどい態度は取らないだろうと考えるかもしれない。でもどうだろうか?言葉ではそう言っていなくても、「救い主なら、神様なら、自分の危機的状況から自分を救ってください」もしそうならなければ、信頼しない、というような心持ちを持ってしまうことがないだろうか?「あなたがキリストなら…」という言葉はルカの4章にもでてくる。サタンがイエス様を誘惑した場面だ。サタンはこの時、御言葉さえ用いてイエス様を誘惑した。御言葉を頭で知っていても、「あなたがキリストならば、、、」という心持ちは、イエス様からフォーカスをずらし、真理を見えなくさせてしまうことがあるのだ。イエス様の隣にはもう一人の罪人がいた。彼はどうだっただろうか?彼は死を間近にして悔い改め、イエス様をイエス様としてそのまま受け入れた。自分の状況に関係なく、神様を恐れることを大事にし、「この方の内に、何ひとつとして悪いことない、この方は御国に位に座る方である」と信じたのだ。そしてその方にただ知られる恵みだけを願った。「あなたの御国、そこに行く時、私を思い出してください」イエス様はそんな彼に「わたしと共にいるよ」と約束された。そしてイエス様が息を引き取った時、神様と人とを隔てていた幕は上から真っ二つに裂け、この罪人に天の国への扉は開かれたのだ。

適用: 今日僕はこのルカの23章のどの人物のようだろうか?イエス様が正しい方だと知っていながら、間違った選択をしてしまうピラトのような者だろうか?自分自身や状況にフォーカスがあって、それによってイエス様を信頼するかどうか決めてしまうような者だろうか?それともただただイエス様という方を知り、そしてイエス様に知られている恵みに預かる者だろうか?自分自身やまわりの状況だけを見つめていくなら、疑いや、間違った選択へと僕は導かれていくだろう。昨日も今日も明日も決して変わることのないイエス様がどのような方か知ることを求め、そのまま心に受け取め、思い巡らそう。イエス様は正しくない自分のために罪を担ってくださった方。今までも、これからも良い方。自分を今日も天の御国の希望を届ける器として生かしてくださっている方。状況が良くても、悪くても、イエス様がどのような方か見つめていくことが、ほんとうに大切なことへと僕を導く。でもそうでない時の自分がいるから、その度に悔い改めて、イエス様をただ見つめることを選びますと祈っていこう。

祈り: 神様、あなたの御名を賛美します。昨日も今日も明日も良い方であるあなたを賛美します。でもそんな自分には状況に心とらわれてしまうことがあります。そしてたとえ言葉には「あなたが神様なら…」と口にしていなくても、疑いや、間違った選択へと進んでしまうことがあります。赦してください。僕があなたを知ること、見つめることを、状況によって選ぶことがないように助けてください。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン

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