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「何があっても」

-Scripture

イエスは弟子たちに言われました。「どうしてそんなにこわがるのですか。まだわたしが信じられないのですか。」

マルコ4:40 リビングバイブル訳

-Observation

イエス様に「湖の向こう岸に行こう」と招かれついていった弟子たち。

最初は順調だったけど、途中、大波、大嵐に見舞われてまー大変。

彼らは気が動転してしまう。

-Application

気が動転した弟子たちがイエス様に一言。

「舟が沈みかかっているのに、よく平気でいられますね!」

矛先がイエス様に向かっている。

彼らは目の前で突然起こった嵐に対して、動揺し、その不安や怒りだろうか、そうした思いがイエス様に向かっている。

どうして、あなたは平気なのか。自分たちのことを見捨てたのか。何もしてくれないのか。

イエス様に従う人生、最初は順調かもしれない。

湖を渡るのに舟を漕ぎ始めたように最初は順調、でも途中で嵐のように大変なことがある。もしかしたらイエス様に従う人生とは、簡単ではなく嵐の連発なのかもしれない。そんな時、イエス様に対して僕はどんな反応をするだろうか。ああ、イエス様は見捨てるのか、何もしてくれないと思ってしまうのだろうか。嵐の中だから、やっぱりそう感じてしまう。どんなに強い人でも苦しい時は孤独を覚え、見捨てられたように感じてしまうことがある。「なんでだ!」と。

今度の土曜日は、NH横浜では洗礼式である。

キッズから2名、洗礼を受ける。

僕が洗礼を受けたのは、2006年。今から13年前である。みんなの前で「どんなことがあってもイエス様に従うか?」と聞かれ「はい!」と答えたのを覚えている。それから順調なことばかりだったろうか。いいや、無いと言えば嘘になる。でも、思い出すなら嵐のようなところを通った時の僕は誰のせいにし、誰に不平不満をぶつけていただろうか。

そう、イエス様である。

なぜ、黙っているのか。どうしてこの状況を変えてくれないのか。イエス様を信じて歩み続けるどころか、イエス様に文句ばかりだったように思う。けれど、今日のストーリーを読むなら、、、

1、イエス様の言葉には力があることに気づかされる。

2、そして、イエス様はどんな状況でも共にいてくださったではないか。

 

Christ is Enoughという曲の中に、次の歌詞がある。

I have decided to follow Jesus

No turning back

No turning back

なぜか。

Christ is Enough For meだからである。

嵐なら、誰を信じるのか。イエス様を信じよう。他の何ものでなくイエス・キリストという唯一の主を信じよう。この方に力があり、できないことはない。そして、嵐であってもイエス様に従っていこう。そう宣言した。そう決めたから。何より、イエス様が僕の人生を変えてくれたから。

-Prayer

愛する天の神様

イエス様をありがとうございます。イエス様。僕の罪のために十字架にかかり、そして身代わりになってくださり、それだけでなくよがえってくださってありがとうございます。これから、どのような所を通っていても主よ、あなたに従い通します。あなたについてけますように。あなたから決して離れたくないです。今日も病にいる人が癒されますように。そして嵐の中にいる方が、イエス様、あなたを見上げることができますように。苦しみに押しつぶされる前に、そのようにあなたが助けてください。アーメン

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