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「Crazy Test Crazy Faith」

Topic:信仰(アブラハム、イサク、試練)

Scripture(聖書)

1これらの出来事の後、神はアブラハムを試練に会わせられた。神は彼に、「アブラハムよ。」と呼びかけられると、彼は、「はい。ここにおります。」と答えた。

2神は仰せられた。「あなたの子、あなたの愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そしてわたしがあなたに示す一つの山の上で、全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」

3翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。彼は全焼のいけにえのためのたきぎを割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ出かけて行った。

(創世記22:1〜3 新改訳)

 

1Some time later God tested Abraham. He said to him, “Abraham!” “Here I am,” he replied.

2Then God said, “Take your son, your only son, whom you love—Isaac—and go to the region of Moriah. Sacrifice him there as a burnt offering on a mountain I will show you.”

3Early the next morning Abraham got up and loaded his donkey. He took with him two of his servants and his son Isaac. When he had cut enough wood for the burnt offering, he set out for the place God had told him about.

(Genesis22:1〜3 NIV)

 

Observation(観察)

ご存知、アブラハムが息子イサクを主に命じられた通りささげようとするシーン。

これは主がアブラハムの信仰と従順をテストするためであった。

齢100歳にして、ようやく与えられた待望の息子である。

イサクが与えられた時、妻のサラはこう言ったほどである。

 

6サラは言いました。「神様は、私を笑えるようにしてくださった。私に赤ちゃんができたと知ったら、皆さんがいっしょに喜んでくれるでしょうね。

7まるで夢のようだわ。年老いた主人のために、赤ちゃんを産んだのですもの。」

(創世記21:6〜7 リビングバイブル)

 

6Sarah said, “God has brought me laughter, and everyone who hears about this will laugh with me.”

7And she added, “Who would have said to Abraham that Sarah would nurse children? Yet I have borne him a son in his old age.”

(Genesis22:6〜7 NIV)

 

イサクの乳離れの際にはそれはそれは盛大な宴会を開いた。

年を取ってから与えられた待望の息子。 愛する愛する息子。

単なる跡取り息子ということだけではなく、主によって与えられた奇跡の息子である。

目に入れても痛くない存在であったであろう。

しかし、その息子イサクをささげよと主は命じられる。

あまりにも酷な命令である。

一晩アブラハムの心にどのような葛藤があったのか聖書は描いていない。

そして、翌朝早くアブラハムは驚きの行動に出る。

主の言葉に従ったのだ。

 

Application(適用)

あまりにもクレイジーなテストである。

四人娘がいる僕でも「一人くらいなら・・・」なんて簡単に全焼のいけにえとしてささげることはできない。

それは愛娘の「死」を意味しているのだから。

こんな残虐非道なテストはない。

一晩なんかでは到底、心の整理がつかない。

いくら泣いても泣いても泣き足りないだろう。

こんな辛く苦しい思いをするなら、「いっそイサクが与えられなかった方が良かった」と恨むかもしれない。

「こんな酷いことをなさる神ならば、もう神を信じない」と信仰を捨てたくなるだろう。

「イサクのいない人生なんて・・・」と人生そのものに対して嫌気がさして、自暴自棄になってしまうかもしれない。

 

しかし、アブラハムは主の言葉に従った。

彼の心の葛藤は描かれていないが、翌朝早く彼は行動に移した。

驚くべき信仰と従順である。

 

はたから見たら「クレイジー」としか言いようがない。

命じた神も、従うアブラハムも「クレイジー」である。

信仰とは時にクレイジーに見えることがある。

しかし、結果的には奇跡を体験し、主の備えと主の守りを味わうこととなる。

 

大事なことは・・・

①主の語りかけを聴く

闇雲にクレイジーになるわけではない。 御言葉をベースとする。

 

②たとえクレイジーであっても主の言葉に従う

アブラハムの信仰の凄いところは「行動力」にある。

生まれ故郷を離れた時も、イサクをささげた時も彼は行動に移したのだ。

 

Prayer(祈り)

主よ。

2019年最初のPastors Meetingを御言葉に聴くことから始められる恵みを感謝します。

今朝は有名なアブラハムがイサクをささげるシーンから改めて信仰を教えてくださり感謝します。

どうかアブラハムの信仰、アブラハムの行動力を与えてください。

大胆に信じる、大胆にささげる、大胆に行動する、そのような信仰者とならせてください。

僕自身も、NHYもアブラハムのようにある意味ではクレイジーな、けれども大きな信仰をもって一歩一歩進ませてください。

そうして、アドナイ・イルエを知ることができますように。

救い主イエスの名前でお祈りします。アーメン

 

 

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