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「思いやりのある貸主」

-Scripture

「ある男が二人の人に金を貸しました。一人は五百デナリ(一デナリは一日の賃金)、もう一人は五十デナリ借りました。 42ところが二人とも、どうしても借金を返せません。金を貸した男はたいへん思いやりのある人だったので、二人の借金を帳消しにしてやりました。この二人のうちどちらの人がよけいに貸し主に感謝し、彼を愛したでしょうか。」 43「たくさん借りていたほうでしょう。」シモンの答えに、イエスも、「そのとおりです」とうなずかれました。ルカ7:41ー43 リビングバイブル訳

-Observation

賃金500日分の借金を赦してもらった人と、賃金50日分を赦してもらった2人が出てくる。そのどちらも貸主に赦された。そのどちらが余計に感謝するかというイエスの問いかけは、シモンのように律法に関して敬虔なものにとってなにを言っているんだと思ったことだろう。

だからこそ彼の答えは、当然と言わんばかりに「たくさん借りていた方でしょう」と答えた。

-Application

律法に通じていたシモンにとって、イエス様のこの問いかけをどれくらい自分のことのように受け止めていただろうか。

同じ場面に出てくる女性は、周りから「あの罪人」と言われる人であった。何の罪かは書かれていないが、確かに街の人々から罪人と呼ばれていた。もちろんシモンだって分かっていた。イエス様の問いかけは、この女性がどれだけ赦されたのかもそうだけど、シモンもその赦されている1人なのだと伝えているのではないだろうか。シモンが500日の方なのか50日の方なのかはわからない。けれど、律法に関しては完璧だった彼にとっては自分が罪人なんていう考えはなかったんじゃないだろうか。

イエス様の問いかけには、みんな罪人であって赦されている存在であること教えられる。

僕もいつの間にか、イエス様に語られていることを自分のことのように受け止めることなく聖書のストーリー、他人事、になっていないだろうか。

イエス様の大きな犠牲によって僕は赦され、愛されている。

本来なら、それに全く値しないのに。この例話のお金を借りていた2人もそうである。どちらも赦されている。神様の愛は何と大きいのだろうか。

だからこそ、僕らは愛するのだ。神に愛され、赦されているから。

「私たちは愛しています。神がまず私たちを愛してくださったからです。」1ヨハネ4:19 新改訳

この聖書の言葉に、僕は信仰告白へと導かれた。そう、僕らが誰かを愛せなくとも、その人を赦せなかろうが、神は僕を愛して赦してくださっている。その真理は決して変わらない。どうしたら愛する者、赦せるものになっていけるだろうか。

1、神様の赦しを自分の事として受け止める

2、どれだけ赦されているのかを知る

3、祈りながら、愛する事、赦すことを実践していく。何度も。

Prayer

神様、あなたの赦しと愛はどれほどでしょうか。時に、自分はそんな罪人ではないと高慢に気取っていることがあります。でも僕も罪人であり、あなたの赦しが必要です。いま悔い改めます。あなたの愛と赦しの中で、同じくらいとは言いません、人を愛し赦せるものになっていけますように。アーメン

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