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召しにふわさしく生きる!(召し、教会)

“さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。・・・こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。 エペソ人への手紙 4章1、11~13節

パウロは、エペソ教会に対して召しにふさわしく生きるように勧めている。ここで、パウロは、一人一人が召しを受けていることを教えている。新改訳聖書では、「召されたあなたがたは」と訳し、NASBでは、”You have received”と現在完了形で訳している。つまり、クリスチャン一人一人がすでに召しを受けているのだ。大切なのは、僕たち一人一人が召しを知り、その召しにふさわしく生きていくことなのだ。では、僕たちは何に召されているのだろうか?それぞれ違うだろうが、共通しているのは、「神の教会を建て上げる働きに召されている」と言って良いだろう。そのために、僕たちには神の一方的な恵みによって救われ、賜物が与えられているのだ。教会のメンバー一人一人が自分に与えられている賜物を使って教会を建てあげると言う召しにふさわしく生きる時、教会ほど世の中に影響を与えるものはないだろう。パウロは、1章23節では、「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」と言っているように、教会ほど世の中に希望を与えられるものはないのだ。4章11節では、使徒、預言者、伝道者、牧師、教師と5つの指導的な賜物、召しが挙げられている。その賜物、召しの目的の一つは、聖徒を奉仕の働きへと整えることだ。指導の賜物が与えられている人が率先してミニストリーをすることではなく、聖徒が率先してミニストリーができるように整えることなのだ。

今日、改めて、召しにふさわしく生きると言うことを考えさせられた。僕は、22歳の時に、教会を建て上げるために、牧師と言う召し、賜物を受けた。それから、バイブルカレッジや当時通っていた教会、ニューホープオアフで召しにふさわしく生きることを学んできた。今年で牧師になって17年。一生懸命、教会を建て上げるために、聖徒を整えるために、生きてきた。残念ながら、今、体調不良のために主任牧師を辞任しようとしている。でも、僕の召しは終わりではない。タロー牧師が言ってくれたことを考える。「僕たちの召しは変わらない。でも、状況や神の導きによって、仕える場所や方法は変わっていくのだ。」僕は、今、どこで、どのように召しに従って生きていくべきなのだろうか?召しにふさわしく生きていくためにどうしたら良いのだろうか?

1、召しのために健康を優先する。

2、息子たちを整えることを祈り、考える。

    4人の息子が主の働きのために整えられるように続けて祈り、

できることをしていく。

3、このシーズン、どこで、どのように召しにふさわしく生きるべきか祈り、考える。

「神様、今日も御言葉を通して、僕を励まし、導いて下さってありがとうございます。神様、僕をあなたの教会を建て上げるために、特に、牧師として召して下さり、賜物を与えて下さってありがとうございます。どうか、どのシーズンも召しにふさわしく生きていけますように。教会を建て上げることができるますように。特に、牧師として『整える』働きをしていけますように。神様、ニューホープ横浜を更に祝福してください。続けて、世の中に影響を与える教会として用いて下さい。日本中の教会が、世界中の教会が世の希望として用いられていきますように。今日もあなたを愛します。あなたに従います。アーメン。」

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