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「キリストの福音」

Scripture
いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。あるいはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私がいまなお人の歓心を買おうとするなら、私はキリストのしもべとは言えません。
ガラテヤ1:10 新改訳

Observaion
キリストの福音とは別の福音が当時のガラテヤ地方では盛んであった。
ガラテヤ地方の人々がパウロから初めに聞いた福音とは、救いは神の一方的な恵みであって律法を守ることや行いによっては得ることができないというものだった。けれど、しばらくすると段々と違った福音が広まってきた。割礼派と言われる人々だ。彼らは人々に割礼を強要していたのだろう。そこには、何か行いを通して信仰に至ることを象徴している姿がある。パウロはそのことに深くショックを受けて、この手紙を書いたのではないだろうか。だから「私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」(ガラテヤ2:21 )とパウロは念を押したのだ。
「もし私が今なお」とあるように、かつてはパウロもそうだったから。人の歓心を得ようとして、自分を評価されようとしていたのかもしれない。自分が迫害を成功させれば多くのものが歓喜したのだから、それはもう気分よかったではないだろうか。
けれどパウロは今、神様に取り入ろうとしているキリストのしもべである。

Application
パウロは180度人生観が変えられる出会いをした。イエス・キリストというお方に出会う。神の愛は、ただ信じるだけで救われるのである。そして、何かできるから何かを得たからではなくそのままで愛されている。その福音から決して離れていけない、とパウロはガラテヤの人々に念押しする。
僕はどちらかというとタスクが目の前にあると、そちらを優先してしまう。なぜなら、それを自分がしていないと人に嫌われるのでは、また認めてもらえないのではと思ってしまうからだ。認められない事や嫌われる事は恐い。誰にでも凄いと言われたいし、受け入れてほしい。しかし、それこそパウロが気をつけろという「他の福音」じゃないだろうか。自分の力で何とかして救い、赦し、義認を得ようとしている。
神様は、それが人の力では無理なんだと教えるために律法を与えた。
与えられた律法はどうやっても100%守りきれるものでない。しかし多くの人々が何かを達成し、到達する事で救いや平安、成功を得ようとしている現代だ。けれど、神様の一方的な愛は無条件で愛し、赦し、受け止めてくれている。認められている。
人の歓心を買おうとする必要なんて、どこにもない。僕はイエス・キリストのしもべである。彼に従い、彼に生きるものである。生かされているのなら、人の歓心ではなく、イエス様のために生きられるようになりたい。
1、人の歓心ではなく、神のために生きる
2、イエス様はそんな弱い自分のために自身を投げうってくれた。
3、神の恵みに感謝しよう

Prayer
神様、僕はどうしてこうも自分でなんとかしようとしてしまうのでしょうか。あなた、という方がいるのに自分で全てを何とかしようとしてしまいます。でも今日、あなたの一方的な恵みに飛び込んでいくことができますように。人の歓心ではなく、あなたのために生きていけますように。あなたの愛と恵みに感謝して。

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