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「対照的な牧者」

Scripture
見よ。わたしはひとりの牧者をこの地に起こすから。彼は迷い出たものを尋ねず、散らされたものを捜さず、傷ついたものをいやさず、飢えているものに食べ物を与えない。かえって肥えた獣の肉を食らい、そのひづめを裂く。
ああ。羊の群れを見捨てる、能なしの牧者。剣がその腕とその右の目を打ち、その腕はなえ、その右の目は視力が衰える。
ゼカリヤ書11:16−17 新改訳

Observation
ここで出てくる牧者は、迷って散ってしまっているものを探すことをせず、傷ついたものを癒すこともなく、食べ物も与えない、能無しの牧者とまで言われている。
けれど、僕らが知っている偉大な牧者であるイエス・キリストはこれとは全く反対だ。「わたしは良い牧者です。」と言われたイエス様は、迷っているなら見つかるまで捜してくれる、傷ついているものを癒し、決して乾くことのない水を与えることができる。

Application
対照的な両者を見て自分自身がどうか、とても考えさせられた。エゼキエルの預言には、自分を肥やす牧者がいるために民が散り散りになってしまうことまで書かれている。それだけ自分が牧者として召していただいたことへの使命感、そして責任意識、何より情熱と愛が問われる。
僕は今までも生ぬるい環境で育ってきた。僕一人が牧師ではなく、その上に副牧師がいて、主任牧師がいてくれる。それはチーム牧会の素晴らしいところだ。しかし、その状況下で、甘えていたところが沢山ある。それは今日の聖書箇所で言われているような、牧者としての使命を他人に最終的に任せ切ってしまっているかのようだ。牧会者ですと言いながら、
僕はどれだけ自分中心なのだろうか。
まだまだイエス様のように良い牧者では全然ないけれど、追いつけるのかも怪しいけど、イエス様のような良い牧者になっていきたい。それには、イエス様の姿から学ぶべきことが沢山ある。その愛、信仰、メッセージ、使命感、へりくだりetc
数え上げればもっと出てくるほど、イエス様から学べることが沢山ある。
だからこそ、
1、悔い改めよう
2、自分自身がイエス様に養われ、そこから学んでいこう
3、自分の召命を忘れないでいる
4、祈り続けていこう

Prayer
愛する天のお父様、今日も台風の後でしたが一日守ってくださってありがとうございました。まだまだなところが沢山あります。それでも僕を使ってくださり、呼んでくださりありがとうございます。今、日本だけでなく海外でも自然災害の猛威があります。インドネシアでは1200人以上の死者が出ました。西日本、熊本、東北、北海道と被災され、被害を経験された方、悲しみの中にいる方にあなたの慰めと励ましがありますように。

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