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私は見える!(信仰)

イエスは彼らに言われた。「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私たちは目が見える。』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」 ヨハネ9:41

「私たちは目が見える」と言い張るところにパリサイ人の罪の原点があった。彼らは経験、年数、プライドや自己満足の故に本当は霊的には盲目であることに気付かないのだ。それ故、一番大切なイエスが救い主であることを見落としてしまうのだ。

これは、パリサイ人だけではなく、牧師である僕にも言えることだろう。年数、経験、プライドなどによって「私は目が見える」と言いたくなるのだ。「私は聞いている!」「私は知っている!」「私は経験がある!」と言いたくなる罠がある。でも、それは、霊的なことにおいては愚かなことだろう。だって、神様がなさることはわからないことが多いのだから。謙遜になって、「私は見えません。見せて下さい。」「私は知りません。教えて下さい。」と言っていこう。謙遜に霊的な世界を見ることを求めていこう。

1)本を読む。

2)神様と二人の時間を過ごす。

3)メッセージを見る。

「神様、今日も聖書の言葉を通して、僕を励まし、導いて下さってありがとうございます。神様、何年、牧師をやっていても、どんなに経験を積んでも、霊的なことにはいつも謙遜に求めていけますように。決して、パリサイ人のように「私は目が見える」と言って大切な霊的な真理をミスすることがないように助けて下さい。今日もあなたを愛します。あなたに従います。アーメン。」

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