No comments yet

テストがあるから助け、寄り添える

御言葉
“18主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。”
へブル人への手紙 2:18

観察
罪のない方であるイエス様が試みを受けられて苦しまれたことがはっきりと書かれている。僕たちはもし自分たちになにも罪がないとして、もし人生に試みがやってきたり、また人生に苦しさがあるなら、不公平だ! こんなことあるべきじゃない! と思うだろう。(罪がないなんてことはないし、だから不平不満がでるんだろうけど…。) 一見ただただ不条理、不公平に思えるかもしれない。けれどイエス様は試みを受けることを選ばた。誘惑を受けられたことがあり、罵られることがあり、裏切られることがあった。そして十字架を背負い、自分がはりつけられる場所へとご自分の足で歩まなければならなかった。けれど十字架の死にいたるまで従順であった。けっして投げ出したり、力で自分に敵対する人たちねじ伏せたりなどなさらなかった。なぜだろうか?それは僕たち一人一人を愛し、救いを届ける唯一の方法が、僕たちの罪の身代わりとなることだったからである。僕たちはイエス様にとって命をかける理由であり、命を燃やす情熱であった。そしてその十字架へと向かう人生の中、これから同じように試みにあう人たちを助けようと、寄り添おうと願い、一つ一つの試みを受けてくださったのである。

適用
試み、それはすなわちテストである。学校で言えばテストには小テストもあれば、中間テスト、そして期末テストもあったりする。テストがなければ、勉強などしないだろう。実際僕の高校はテストといえるテストなど本当になかったから、勉強など一切しなかった。今でもなぜ卒業できたのかわからない。不思議である。とにもかくにも、テストがあると勉強する。でもテストに価値も見出せないと、不満に感じるものである。けれど、一見自分と関係ないと思うテストも、その中でなにかに向けた勤勉さ、忠実さが養われ、自分の弱いポイントと向き合うことを学ぶことができたりするものである。また、中間、期末と違い、小テストは急にやってくる。僕たちの人生のテストはこれに似て、突然やってくるものである。テストがあるかないかは、僕たちのした行いによって決まるものではない。チャレンジや困難という問題のテストは誰の人生にもやってくる。テストの詳細はやってくるまでわからないが、日々神様と時間を過ごし、御言葉を心注がれていることは僕たちの歩みを助けてくれる。神様の御言葉によって養われた心は、テストがやってきたときに御言葉を思い出すことを助けてくれる泉である。けれど時に、ほんとうに大きな困難を感じるテスト、試みが人生にはやってくる。「なぜこんなテストが?なぜ今なのですか?」と思うことがあるだろう。でもそのテストの存在の答えがわからなくても、僕たちの希望は、神様が僕たちをその御手の中に包んでくださっている、ということであり、そしてイエス様がすでに僕たちが通るテスト、試みを通ってくださっている、ということである。そしてはっきりと、”18主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。”と約束が書かれているのだ。イエス様は僕たちを救い、助け、癒され、慰め、支え、強め、寄り添ってくださるかたである。頭では知っていたこと、それらがテストを通して、ほんとうにそうなのだ、と心が経験するだろう。そのテストの中でないと知ることのできない恵みがたくさんある。主に信頼できることをもう一度経験でき、主の忠実さと良さを味わうことの恵みに預かることができるだろう。そしてその困難を通ったがゆえに、イエス様が僕たちにしてくださるように、僕たちも他の人たちの人生に寄り添い、助けることができる。今日まず僕たちに寄り添うために試みを受けてくださったイエス様に「僕のために試みをうけてくれてありがとう。寄り添ってくれてありがとう。」感謝を伝えよう。そして自分が試みにあう時に、「イエス様、あなたの助けが必要です。そしてどうかこのテストを通ることによって、いつの日かあなたがしてくれたように自分も誰かを助け、寄り添うことができますように。」と祈っていこう。イエス様の「ありがとうわたしの子供よ!」がすでに心に注がれていることに感謝である。

祈り
天のお父さん!! あなたの御名を心から賛美します! 今日も生かされている恵みに感謝します! けれど人生に試み、テストがやってきた時、正直、感謝の心を忘れてしまうことがあります。あなたから心が遠く感じることがあります。どうかそんな時に今日の御言葉を思い起こすことができますように。イエス様がすでにその試み、テストを通ってくださっていること、そしてそのイエス様の助けがあることを思い起こすことができますように。僕たちはそのテストを通り、そしていつの日かあなたがしてくれたように、誰かを助け、あなたがいてくれたように、誰かに寄り添うことができるのだと信じ、そしてすでに感謝します。日々あなたの御言葉を心に注がれ、僕の心が命の泉となりますように。そして今日という日に試みにあっている方がいて、そして困難、苦しみを抱えているとしたら、あなたの助けが一人一人にあり、あなたが寄り添ってくださっていることを知ることができますように。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン

Post a comment

%d bloggers like this: