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自分に死ぬプロセス(教会、家族)

S: あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。それゆえ、神は、キリストを高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。 ピリピ2:5-9

O: パウロは、2章1節から4節までで、ピリピ教会に一致を保つことをお願いし、他の人を自分よりすぐれてた者と思うこと、他の人を顧みることを教えている。それができたら教会や家族は本当に美しいと思う。全ての人間関係は祝福されていくだろう。その後で、そのために、キリストのような心構え、態度、考えを持つことを命じている。それは、キリストが徹底的に自分に死に、神と人に仕えた態度だった。ここに7つの特徴が挙げられている。1,神のあり方を捨てた。2,ご自分を無にした。3,仕える者の姿をとった。NKJVでは「仕える者」よりもっと低い“a bondservant”(奴隷)の姿をとったと訳している。4,人間と同じようになられた。5,人としての性質を持って現れた。6,自分を卑しくした。7,十字架の死にまでも従われた。このように徹底的に自分に死ぬプロセスを通ったからこそ神はキリストを高く上げられたのだ。クリスチャン一人一人が、家族一人一人が、教会員一人一人が、自分に死ぬことを学んでいく時に家族に、教会に一致が与えられ、神様の祝福を経験できると言うことだろう。

A: 僕は、夫としても、父親としても、牧師としても自分に死ぬと言うことを学んでいる。先日、僕が尊敬している牧師の一人、ゲーリーシオハマ牧師に会ったが、その時も「この人本当に自分に死んだ牧師だな。」と感動した。自分に死ぬプロセスを通っていく時、僕たちの信仰、品性は磨かれ、成熟していくと言うことだろう。でも、自分に死ぬプロセスは決して簡単ではないし、気持ちの良いものではない。特に、自分のプライドや弱さや病気と向き合うことは、実に痛い。でも、イエス様が人類を救うために、自分に死ぬプロセスを歩んで下さったように、僕もこのプロセスを続けて歩んでいきたい。

P: 「神様、今日も聖書の言葉を通して僕を励まし、導いて下さってありがとうございます。どうか、今あなたが僕に「学びなさい」と言われているレッスンを自分に死に、従順に学ぶことができますように。どうか、僕に家族に、ニューホープ横浜に更なる一致を与えて下さい。今日もあなたを愛します。あなたに従います。アーメン。」

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