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「信仰を働かせる」

Scripture

‘ヨシュアは命じました。「ラッパの音以外、音を出してはいけない。一言も発してはならない。私が『ときの声を上げよ』と言ったら、いっせいに大声で叫びなさい。」 ‘

ヨシュア記 6:10 JLB

Observation

難攻不落のエリコの城壁を前に、イスラエルの人々は何を思っただろうか。新しいリーダーであるヨシュアは何を考えていただろうか。

人間の目には、絶対に崩すことはできない。そう思われていたエリコへ攻め込むなど、どうやっても方法が浮かばなかったかもしれない。

けれど神様は、「必ず勝ち取れる。攻め込みなさい。」と力強い言葉を彼らに放つのだった。

しかし方法はあまりに奇抜だ。

何かすごい戦車や武器でもなく、用いたのはラッパのみ。そしてただ城壁の周りを歩いただけであった。

そんな一見、なんだそれと思うような方法で実際にはイスラエルの人々はエリコの町を勝ち取るわけである。

このストーリーはいつ読んでも、信仰を励まされる。不可能なことも信仰を持って神様に信頼していくことの大切さを教えられる。

そして、信仰を試される。

Application

ヨシュアたちの信仰の戦いにおいて実に面白いのは、戦いなのに声を出してはいけない、音も出してはいけないということだ。

6日間、彼らは一切、ラッパの音以外を発することはなかった。そう、戦いなのに声を荒げたり、感情的になるでもなく、ただ声を潜めてだまっていた。

信仰ってもっと熱く、ふつふつしてくるようなものを思い浮かべるけれど、ここでの信仰の戦いにはヨシュアたち民の沈黙、静けさがあった。

そしていつ、声を発していいのかというと、、、

「ときの声を上げる」べき時が来たら、である。

人の目に不可能と思えること、絶対に無理だと思うことに対して信仰を働かせるとき、それはもしかしたら忍耐が求められるかもしれない。ただ黙って、その今の歩みを神様に信頼して歩むことかもしれない。必ずしも信仰とは「さあ、やってやろうぜ!」とか「今しかないでしょ!」という情熱的なことばかりでなく、耐えることや黙っていること、何より神様の時を待ち望むことなのかもしれない。僕はせっかちだ。焦りもあるし、なんでもコンビニエンスな時代に生きているとそういった、耐え忍ぶ信仰というのをないがしろにしてしまう。けれど神様の与えようとしていることには、必ず神様のタイミングがある。それが「ときの声」なのかもしれないし、それがいつなのかもわからない。さらに、もしかしたら神様に提示される方法は人間の目には、「え?」と思うようなこともあるのかもしれない。だとしても、神様の約束を信じて、導きを信じて耐え忍ぶ、そんな信仰を養っていきたい。そんな信仰を働かせることのできるものになりたい。どうしたらいいだろうか?

1、耐え忍ぶ

2、信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいる。

3、自分の信仰の足りなさを悔い改める。

Prayer

神様、いつ何時でも「これだ!」という答えを僕らは求めてしまいがちです。けれど、神様あなたは時にそれをぼかしてはっきりと見せないこともあります。それは僕らの信仰を見られるから。ならば、今は見えずとも、わからないことだらけでも、信仰を働かせることができますように。信仰を与えてください。増し加えてください。からし種でいいと言われました。その僅かな信仰を与えてください。

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