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困難の中に神様の約束と守りがある。

Scripture
“16また、不品行の者や、一杯の食物と引き替えに自分のものであった長子の権利を売ったエサウのような俗悪な者がないようにしなさい。”
へブル人への手紙 12:16

Observation
創世記25章に出てくるエサウの出来事が引用されている。エサウは神様から与えられている長男としての権利を軽んじてしまった。エサウに神様が与えてくださっていた約束、その方の忠実さ、その方の守りを信じるよりも、目に見える自分の求めるものを前に、約束を捨ててまでもそちらを選び、長男としての権利を売ってしまった。エサウが言うには彼は
飢えていた。
疲れていた。
死にそうと感じた。
エサウは神様からの約束を知らなかったわけでも、忘れたわけでもなかった。けれど、エサウに困難がやってきた時、神様からの約束がエサウには無意味に感じられてしまった。神様の忠実さを忘れてしまい、「守りがある」と、「約束のものは必ずくる」と信じることができなかった。それよりも、目の前にある自分の望むものが自分の人生の希望なのだと、必要なものなのだと、信じてしまった。

Application
僕の人生にも困難がくる。困難はやってくるのを知っていても止めることができない。けれども困難をどう見て、どう取り扱うか、それを僕たちは選ぶことができる。困難は簡単ではない。難しい。ネガティブなイメージを与える。けれども同時に困難は、神様からの約束、守りのそばにあるものである。時に困難は神様の愛への道標。神様の忠実さを味わうことができる時。約束へと一歩近づく時である。イエス様はこの地上に人となってきてくださり、十字架にかかってくださった。どれほどの困難が近づこうとも、死が迫ろうとも、けっしてそれることなく、たゆむことなく、まっすぐに歩まれた。僕たちの前に道を開いてくださり、そして、そこを歩むことができるのだと示してくださった。僕の人生に困難がやってくる時、心は試され、揺さぶられ、エサウのように目の前に現れた一時的な希望が自分には必要だと錯覚させるような時があるだろう。そんな時、天の御国に自分は今日も1歩近づくことを赦されているのだ、という恵みに感謝し、イエス様にだけ希望をもう一度おくことを選んで行こう。信仰でしか行けない場所がある。見ることのできないことがある。それを求めていこう。

Prayer
天のお父さん、あなたの御名を賛美します! あなたは昨日も今日も明日も変わらない方です。あなたの愛も忠実さも約束もけっして変わることはありません。感謝! けれども僕の心は困難に揺さぶられます。あなたの約束よりも、希望よりも、愛よりも、赦しよりも、目の前にある自分の望む希望に心が引っ張られるような時があります。けれども、その困難の嵐の中で、あなたのいる御国に自分の錨をつなぎ、あなたの愛、約束、忠実さに希望をおきます。信仰によって、あなたが導くところへ行くことができますように。あなたが用意しておられるものを見ることができますように。けれど、それを感じられても、感じることができなくても、あなたはあなたであるから、その偉大な御名を賛美します。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン

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