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義とする務め

Scripture

“9罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。”

コリント人への手紙 第二 3:9

“16しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。17主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。18私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。”

コリント人への手紙 第二 3:16-18

Observation

かつてモーセは罪に定める務めを請け負った。なにが罪なのか、すなわち、なにをすることが僕たちを神様から離れさせるのか?それを人々がわかるように、石の板に文字を刻んだ。ふとこの世の中に、自分のすることによって、自分は完全完璧、なにも悪いところがない。と思う人がいるのだろうか?と思った。もしかしたらいるかもしれないが、誰もが失敗をし、後悔があり、痛みがあるのではないだろうか。たとえ律法を知らなくても、イエスさまを知らなくても、この天と地を造られた神様の御手により造られた人の内側には不思議と罪悪感や後悔が湧き上がり、孤独を感じるものである。顔におおいがかかり、本音よりも建前、素直になれず、人の目を、なにより知らず知らずとも、神様の目を避ける。「教会」と聞くと、自分は全然聖くないから…と、人が言うのを何度も聞いたことがある。誰もが失敗があり、後悔があり、痛みがあり、罪悪感があったりするのだ。

Application

昨日は久しぶりに僕のハワイのお父さんであるPastor Carlに会った。日本に帰ってきて、しばらく連絡をしていなかった時期があって、ちゃんと会うのは久しぶり。再会を楽しみにしつつ、同時にちょっとどきどきしていた。でもPastor Carlは僕を見つけると、大きな笑顔と大きな体で(僕が小さいっていうのはあるのだけども)ハグをしてくれた。今日聖書を読みながら、そのことが頭に浮かび、この「義とする務め」という御言葉に心がとまり、なんとも言葉に表せない愛と赦しと希望を感じた。“9罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです。” ほんとうにアーメンである。僕たちが主に向かう時、僕たちの顔にかぶされたおおいは取り除かれる。主の愛のSpiritが心にふれ、義とされる。主のSpiritがあるところに自由がある。まだ罪はあるかもしれない。罪悪感はあるかもしれない。後悔はあるかもしれない。鎖のようにそれらが自分を取り巻いているかもしれない。けれど、そこにはそんな自分でも愛してくれた、赦してくれた、義としてくれた方の、鎖を砕くSpiritのハグがある。もうおおいはないのだ。主が一方的に注いでくださった恵によって義とされるのだ。鏡のように主の栄光を受け、反映させながら、昨日より今日、今日より明日、主と同じ形に変えられていく。そして主に似たものに変えられていく僕たちは、主の愛、赦し、恵、希望を流す存在になる。主は僕たちを通してこの地上にまだたくさんかけられているおおいを取り除こうとしてくださっている。Pastor Carlが僕にしてくれたように、僕も誰かの人生に寄り添い、義とする務めをこの地上でしていきたい。

Prayer

天のお父さん、今日の1日をありがとうございます。昨日は久しぶりにPastor Carlに会えて、愛と恵と励ましを注がれました。Pastor Carlはあなたのような人だなぁ…僕もあなたのように変えられ、義とする務めのために生きていきたいです。世の中にはあなたの愛、赦し、救い、希望が必要な人がたくさんいます。どうか僕を、あなたの福音を受け取った一人一人を、あなたが送り、用いてください。あなたの行きなさい、という人のところに行き、あなたの愛と赦しを、希望と励ましを届けることができますように。あなたは愛されているのだよと、心に書き送ることができますように。あなたの恵と守りがありますように。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

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